台中を出発し、バスで南投県にある日月潭と文武廟に移動する。
日月潭(にちげつたん)は台湾屈指の観光スポットであり、レイクリゾートでもある。
台湾最大の湖「日月潭(にちげつたん)」を観光
台中から日月潭まではバスで約80km、1時間30分の距離にある。
日月潭に到着するとすぐ目に入ってきたのが、この大きな湖だ。残念ながら曇っているが、この湖こそがまさに日月潭である。

日月潭の由来は湖の北側が太陽の形、南側が月の形をしているため名付けられたそう。上のGoogleマップを拡大してみてみてほしい。そう言われれば、そんな形に見えなくもない。

早朝の景色と夕日の時間帯が最も綺麗と言われているが、バスツアーと天気の都合上、その景色を見ることはできなかった。
曇っていても、自然の中に没入できて気分が良かった。台湾の都市部だけでなく、こういった山岳部も見てみると台湾旅行のリフレッシュになり、また違う目線で台湾を見ることができると思う。
だた、私としてやはり晴れた状態で日月潭を観光したいと思っていた。また、台湾に来ることがあったらここは絶対にリベンジしたいと思っている。

日月潭の景色も十分綺麗だが、隣接している文武廟にも行ってみることにした。

日月潭の北側にある廟「文武廟」を観光
日月潭の北側にある「文武廟」にやってきた。写真の通り、目の前には日月潭が広がっている。
こちらの廟では、学問の神・孔子と武の神・関羽、岳飛を祀っている。どうやら台湾では一つの廟に何種類もの神様を祀ることが結構多いようだ。
そして、オレンジ色に塗られた瓦屋根と奥の日月潭とのコントラストがなんとも美しい光景である。

広角カメラで撮影するとその建物の数の多さに驚くだろう。

中国式の門(櫺星門・れいせいもん)もある。孔子廟にはなくてはならない建築物だそう。


こちらが正門付近から見た文武廟の全景である。

文武廟の入り口には立派な正門がある。
台湾で唯一正門が開いている孔子廟なのだそうで、かなり珍しいようだ。

「文武廟」の建物自体は中国様式で建築されていて特徴的である。



装飾物のひとつをとっても非常に作り込まれている様子が伺える。

天井部分の装飾には非常に繊細に、と言ったら良いのだろうか、龍の絵が描かれている。

この日は何かのイベントが開かれるのであろうか。レッドカーペットが文武廟の正門前に大きく広げられていた。

レストラン「埔里四季蒸宴」で昼食
お昼近い時間になったので日月潭と文武廟の観光を切り上げ、昼食へと向かう。
昼食会場は日月潭より北に移動したこちらのレストラン「埔里四季蒸宴」である。
朝ご飯を食べていたので、昼食時はそこまでお腹が空いておらずパンを少々。他にも中華料理が出てきたので、少しだけ食べることにした。

駐車場には赤色の綺麗な花が咲いていたが、こちらは何の花なのだろうか?

台湾の開発の礎を築いた鄭成功を祀る「延平郡王祠」へ
そこからは再びバスに乗り、南下を続け台南へと向かう。
日月潭から台南までは約160km、車で2時間半程度の距離だ。
次の目的地は台湾の京都とも言われる台南にある寺院「延平郡王祠」である。
延平郡王祠には鄭成功が祭神として祀られている。

開山王として祀られているのが鄭成功である。鄭成功についての詳細はこちらの通りだ。
延平郡王祠には鄭成功が祭神として祀られています。鄭成功は1662年にオランダ東インド会社を台湾から追い出しましたが、その年のうちに病死してしまいました。彼は台湾を漢人の勢力圏に収め、開発の基礎を築いたとされ、早くから神様として祀られました。しかし、鄭氏政権が清朝に滅ぼされた後は、鄭成功の名前を出すと都合が悪いので、「開山王」と呼び変えられます。「山」は台湾を指し、台湾の開拓者であることを意味します。1875年、清朝によって正式に延平郡王祠とされました。その後、建て替えが繰り返され、現在の建物は1963年に建てられたものです。以下略

さらには「延平郡王祠」は日本との関係が深いようだ。
勉強した上で、観光するとまた違った見方で旅行をすることができる。
鄭成功は日本と関係が深いと聞きましたが?
鄭成功の父・鄭芝龍は平戸(長崎県)に住んでいたことがあり、日本人女性・田川マツとの間に鄭成功が生まれました。延平郡王祠の後殿には母親も祀られています。鄭成功記念館や鄭成功が生まれた場所を示すと伝えられる「児誕石」がある平戸は、現在は台南市とも交流があります。明朝滅亡後、鄭成功を含む反清勢力が江戸幕府に援軍要請(「日本乞師」といいます)を繰り返していたので、彼の存在は当時から日本でも知られていました。以下略
ここは昔、日本の神社だったのですね?
日本統治時代の日本にとって日本人と漢人との混血児であった鄭成功は、植民地統治のシンボルとして利用価値がありました。そこで日本の台湾総督府は延平郡王祠を「開山神社」に改めます。現在、「忠肝義膽」と書かれた牌楼(門)が建っていますが、これは日本統治時代の鳥居を改造したものです。開山神社は、日本が台湾を放棄した後、再び延平郡王祠に戻されました。戦後は鄭成功の位置づけが変わります。「反清復明」(清朝を倒して、明朝を復活させる)を目指した彼の姿は、「反攻大陸」(共産党政権下の大陸へ反撃する)というスローガンに重ね合わされました。このように、鄭成功の評価は時代によって大きく変化してきました。
鄭成功は教科書で習っていたが、日本との混血だったことは知らなかった。
社会情勢や周囲を取り巻く環境でここまで「鄭成功」に対する見方も変わるのだと感じた。

現地の延平郡王祠の説明書きには中国語のほかに英語と日本語が併記されていた。

以上で日月潭から台南までの観光は終了である。この後、再びバスで高雄まで向かうことになる。
続きは、#5高雄編をお楽しみに。


