先ほどまで観光したクラークキーや旧ヒルストリート警察署からさらに南東側にあるのがボートキー(Boat Quay)である。
今回時間の都合上、ボートキーの対岸からボートキーの様子を見ることにした。
ボートキーの対岸側にはシンガポール建国の父とも言われる「トーマス・スタンフォード・ラッフルズズ(Thomas Stamford Bingley Raffles)」がシンガポールに初上陸した場所の記念碑が立っている。
また、道中にはシンガポールの国会議事堂などもあり構内を散歩することができた。
「シンガポール国会議事堂」を訪問
旧ストリートヒル警察署と大蔵省を見学した後、さらに南東側に歩いていると見えてきたのが「シンガポール国会議事堂(Parliament House)」ある。
高層ビル群が乱立しているところがシンガポール川の対岸のエリアのボートキー(Boat Quay)である。
赤い屋根が目立つので国会議事堂は周囲の建物と比べて一際目立つ作りをしていた。

国会議事堂のすぐそばにはシンガポール川の対岸へ行くことができる橋があり、ここからボートキー側に渡ることができる。
こちらの橋はエルギン橋(Elgin Bridge)という名前が付けられているそうだ。

シンガポール国会議事堂の正面へと戻ってきた。
シンガポールの国会議事堂は赤い屋根の作りで、沖縄の竹富島の伝統的集落の屋根の色に似ていると感じた。
観光地ではないので、観光客はほとんどいなかったが、特徴的な建物でもあるので一見の価値はあるのではないかと思う。

シンガポールの政治については詳しくはないが、日本の二院制(衆議院と参議院)とは異なり、議会は一院制となっているそうだ。
与党の人民行動党(PAP=People’s Action Party)が定数93議席のうち、83議席を占めており、選挙権は21歳からとなっているそうだ。
棄権すると罰金が課されるのは、非常に罰金制度の多いシンガポールらしいとも言えるだろう。
その成果もあってか、シンガポールの投票率は90%を超えることが多いようだ。
投票率の低い日本でもシンガポールと同様に義務投票制にすれば投票率が上がるのは間違いない。
対岸から交易の中心地だった「ボートキー」を望む
シンガポールの国会議事堂側から対岸を望むと見えるのがボートキー(Boat Quay)というエリアだ。
近くには高層ビル群もあり、多くのサラリーマンが夜になるとボートキーにある居酒屋やレストランに集まってくるという。
各国の駐在員にも人気のエリアだそうで、東京でいう新橋のような場所だと思う。

前回の記事で紹介したクラークキーよりもシンガポール川の河口付近に位置しており、沼を埋め立て1822年に最初に開発がされたのがボートキーである。
昔はパブリック・キー(Public Quay)と呼ばれていて、貿易や商業の中心として栄えていたそうだ。
写真からもうっすら見ることができるが、今も荷下ろしに使われた船着場からの階段が川沿いに残っているのが分かる。
ボートキーがシンガポール川の河口を少し内陸に入ったところで川が蛇行しているため、ちょうど船を停泊させやすかったことが今日の発展に繋がったのではないかと思う。

どこの都市でもそうだが、地形を見ると、なぜその都市が発展したかのかを紐解くきっかけになるので面白いと思う。
実はこの日もかなり気温が高く、歩いているだけでも汗が噴き出るほどの暑さだった。
シンガポールは都市国家で面積も狭いことから、観光地同士が密集しており、歩いて回れる距離にあることが多いので街の様子探検も兼ねて徒歩で移動していた。
すでに長距離を歩いていおりそろそろバス移動に切り替えようと思っていた矢先にシンガポール川のほとりを歩くことができたので、かなり涼むことができた。

シンガポール建国の父「ラッフルズ上陸記念の地」を訪問
ボートキーに行かず、なぜ対岸の方からボートキーの方を見ていたかというと、こちら側(シンガポール川の北側)にシンガポール旅行の際には絶対に行ってみたいと思っていた場所があったからだ。
シンガポールを語る上では外せない、シンガポール建国の父とも言われる「トーマス・スタンフォード・ラッフルズ(Thomas Stamford Bingley Raffles)」がシンガポールに初上陸した場所の記念碑があるのだ。
シンガポール編の冒頭の記事で紹介したラッフルズ・ホテルもラッフルズの名前から取られているのだ。
1819年1月28日、のちにシンガポールをイギリスの植民地として開発させるイギリス人ラッフルズが初めてシンガプーラ(現シンガポール)のこの場所に上陸して、この地を貿易の中継地点として繁栄させたという偉大な功績をラッフルズは持っている。
実際に上陸記念の碑周辺には当時の写真(おそらく1880年代)とともに解説が書かれてた表示板があった。
写真を見ると分かるが当時のシンガポール川には多くの船が停泊しており、今よりも川幅が狭かったことが見て取れると思う。


奥にボートキーを望む形で、ラッフルズ上陸記念の碑が建てられていた。


ラッフルズ上陸記念の碑の台座には下記の内容が書かれていた。
この歴史的な場所で、1819年1月28日にトーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿がシンガポールに上陸し、天才的な洞察力で無名な漁村を偉大な港町かつ近代的な大都市へとシンガポールの運命を変えました。

ラッフルズの功績もあり19世紀前半に英国の植民地かつ東洋と西洋の貿易の中継地として栄えたシンガポールは1942年〜1945年にかけて日本軍の占領時代はあったものの、1959年に英国より自治権を回復し、シンガポール自治州となった。
1963年のマレーシア成立に伴い、その一州として参加したが、2年後の1965年にはマレーシアより分離して、現在のシンガポール共和国として独立した。
ラッフルズの功績は大きく、今でも多くのシンガポール国民が畏敬の念を抱いていると言う。
アジアの金融センター「シェントン・ウェイ」を訪問
ラッフルズ上陸記念の地からは再び徒歩で移動して、MRTのラッフルズ・プレイス駅からMRTマリーナ・ベイ駅へとMRTで移動をした。
MRTマリーナ・ベイ駅で降車して、地上に出てくると周囲には見上げるほどの高層ビル群が林立している。
このエリア一帯は、アジアの金融センター「シェントン・ウェイ(Shenton Way)と呼ばれているエリアである。
先ほどまで観光していたエリアにあるボートキーなどもシェントン・ウェイに含まれるのだ。
ボートキー付近に乱立して見えたビル群も金融センター「シェントンウェイ」の一部を構成している。
シェントン・ウェイに位置するオフィス・商業施設・住宅からなる超大型複合施設の「Marina One」には日本でも見慣れた会社のロゴがあり思わず見てきてしまった。
テナント表示板にはMUFJと書かれた三菱UFJ銀行やコンサル業のpwc、海運業のONEなど日本企業も含め大企業が入居していることが分かる。
日本企業の駐在員もこちらのビルで働いている方々が多くいるのだと思う。

ここまで足早にシンガポールの歴史や経済、文化を少しでも理解するためにさまざまな場所を巡ってきた。
まだまだシンガポールを旅していくが、何気ない場所も背景や歴史を踏まえることで、その土地の変遷を理解していきたいと思う。
#14では、ガーデンズバイザベイを訪問し、昨日見ることのできなかった「クラウドフォレスト」などを観光します。
ここまで読んでいただきありがとうございました。


